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2006年12月15日 (金)

追悼

杉浦登志彦(元建築ジャーナル代表)さんが12日にお亡くなりになられた。

杉浦さんのお蔭で今の私がある。恩返しができなかった事が何よりも悔やまれる。

建築設計の仕事につき、色々な壁にぶちあたり、挫折感に浸っていた時に、世の中と建築界の矛盾を突き、明快に論ずる方がみえた。建築とそれを取り巻く社会に少し嫌気をさしていた時に、一筋の光を見た思いだった。私たち建築設計者のあるべき姿や、あるべき思考を、現状を縦横無尽に斬りながら、凄みをもって説く姿に、惚れたと言ってもよかった。勿論、その時はお会いした事もなく、文書でしかしらなかったのだが。当時お手紙を出した事があった。ファンレターのようなものだった。

ひょうんな事からお目にかかり、大変かわいがって頂く事になったのは、その当時ではとても考えられない事であった。「欠陥住宅をつくらない住宅設計者の会」によんで頂いたのも、杉浦さんであった。また、色々な方に引き合わせてくださったのも、杉浦さんであった。

ジャーナリストとしてだけでなく、建築文化や職能問題では名古屋に留まらす議論をリードするとともに行動し、鬼頭梓(JIA元会長)さんや、池田武邦(日本設計名誉会長)さんとも親交が厚く、巨大資本や政治にも真っ向から向かう、凄い方だった。

建築設計者が自ら浄化作用に努めるのが建築家の職能だと、「欠陥住宅をつくらない住宅設計者の会」をたち上げ、自ら2000本の電話相談を受けるほど、正義感の強い方であた。

時代に先駆けて走りきった方だった。有難うございました。これから恩返しをしていくためには何をしなければならないのか、日々考えながら努めたいと思います。

ご冥福を心より、お祈り申し上げます。

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住まい・インテリア」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
記事を書かれてから2年半後のコメントになってしまうのですが…
私も昔、杉浦さんに大変お世話になりました。名古屋を離れ、時間が経っても、杉浦さんを忘れることは決してありませんでした。
あの真夏の太陽のような杉浦さんが、2年半も前に亡くなっていたということを、こちらのブログで数時間前に知り、愕然としています。
杉浦さんがいつかは亡くなるということを考えもしなかった自分の愚かさに、腹が立つばかりです。
変な書き込みになってしまって、申し訳ありません。

コメント有難うございました。
今度杉浦さんの奥様にお会いした時に、お伝えさせて頂きます。

ありがとうございます。
杉浦さんの死を知り、一睡もできませんでした。
悲しいです。

実は、このブログを見て杉浦さんの訃報を知り、ご連絡を頂いた方はお二人目でした。
その方はジャーナルの元編集員の方でした。
時を経てこのように悲しみをお伝え頂き、杉浦さんのご功績が改めて刻まれる思いです。
有難うございました。

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